ひと育つ こが育つ
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石造物は大きく分けて、自然石碑や五輪塔、多宝塔などの「石塔」、庚申塔や一字一石塔、地蔵などの「石仏」、道標などの「その他」に分けられる。
石造物は市内路傍や神社・仏閣など日常生活のなかで接することができる文化財で、そこには造られた意義があり、歴史の変遷、当時の人々の生活や信仰などを知ることができる。
又、美術的な観点からも心を魅かれるものがある。
地蔵信仰は室町時代に始まった。
六地蔵は人の死後、六道(天上から地獄までの死後の六世界)のどこにいても救いの手を差しのべる地蔵で寺や墓地に通じる道端にあることが多い。
庚申信仰は室町時代に始まり江戸時代に盛んになった健康長寿を祈る民間信仰で、道教と仏教が混合したもの。人の体には三尸(さんし)という虫がいて60日ごとにまわってくる庚申の夜に体から抜け出して天帝にその人の罪を告げ生命を縮められるため、庚申の夜に人々が集まり、庚申の掛軸の前で飲食しながら歓談、三尸が抜け出すのを寝ないで防いだ。
庚申塔は往来の多い道端に作られ、文字だけが彫られたもの、青面金剛や猿、鶏など様々な形をとる。
庚申の猿はもともと農耕馬の病気を払う神様で、現在その名残が猿回しとして残っていると言われている。
一方、鶏はそのくちばしが蓮の実に似ていることから仏の使いだとされている。
板碑や石塔などに刻まれている梵字は梵語(サンスクリット)を表記するために用いられた古代インド文字で一字で仏・菩薩を表している。種子は草木の種子に例え、すべての功徳が生まれることから言われる。
写真は清龍寺(薦野)の鳥居の額束でこの一字で薬師如来を表している。
鎌倉時代の末から江戸時代にかけて広まったもので供養を目的に作られた。
小石一個に一字を墨や朱で書き経典を写したものを甕に入れて土中に埋め、その上に碑を立てた。
写真は医王寺(筵内)の一字一石経塔で他に青柳寺浦、薬王寺の東前寺境内にもある。
神社の手水鉢にある穴は杯状穴と言い、この穴に鯨の油などを入れ灯明とした。
また線刻石は吉凶を占ったり何かの方角を示したものではないかと思われている。
文化課(リーパスプラザこが内)
古賀市立歴史資料館
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